安心して居座れる喫茶店の条件

私のように非常に神経質で、ちょっとした些末事でメンタルをごっそりやられてしまう豆腐メンタルの持ち主からすれば、

ぬくぬくと落ち着いた状態で長居できる喫茶店というのは、

つちのこのように稀であり、あれば是非教えてほしいものである。

適応できない条件としては、

 

なんだかお洒落過ぎる、白を基調としていて照明が明る過ぎる、いつ行っても女性かカップルしかいない、隣の会話が聞こえ過ぎる、お客多すぎるor少な過ぎる、珈琲の量が少ない、こだわりすぎていて一杯がやたら高い、等々がある。

 

適度にお洒落で、独特過ぎず、格式ばって無くて、照明明る過ぎず、そこそこ年季の入っている机や椅子があって、適度に席同士離れて配置されていて、一人客もまばらに入っていて、珈琲を淹れる店主とも軽めに会話でき、本を安らかに1時間半は読むことの可能な店が良い。

 

まあ資本主義社会において、私のような人間が独りで通えてくつろげる喫茶店が生き残れること自体が奇跡なのかもしれない…。

女湯という心地の良いフレーズについて

女湯。

この単語を目にすると、

どうしてこうも心が沸きたつのだろうか。

それはこの「女湯」が、決していやらしさだけを想起させるのではなく、

温泉または銭湯のほっこり感、あたたかみ、清潔感、石鹸の香り、安心感、、、

こういった湯のもつ独特の心地の良いイメージ達と相俟って、その湯けむりの奥にチラチラと見え隠れする甘美なる秘密の花園を連想・妄想させるために、得も言われぬ幸福な心境をもたらすのではないだろうか。

さらに、赤い暖簾に白の温泉マークも加われば、より効果的。

男湯。ではダメである。

私たちは絶対にあの青い暖簾しかくぐれない。

その厳しくも悲しい事実が、毎回くぐっていて馴染み中の馴染みなのにもかかわらず、青い暖簾と男湯という単語にはガッカリ感しか抱かせないのだ。

朝靄

雨堂は朝靄にうかぶ防波堤に、
ゆらりと佇む一人の男をじっと見ていた。


その男の表情からは、
彼が一体何を考えているのか窺い知ることはできないが、
漠然とした孤独のようなものを雨堂は感じとっていた。

彼に殺されるかもしれない。
そう想像をふくらませると、楽しいような怖いような、ひんやりとした妙な興奮を覚えた。

水焔

彼は、約十分にわたる、濁流へと降り注ぐ豪雨の音と、
どこか遠くの方で時折鳴り響く雷鳴を録音した音源を
延々とリピート再生しながらよくものを書いた。

 

その音は、彼の集中力を鋭く高め、こころを静謐な状態に保つと同時に、奥底の方からじわじわと静かに高ぶらせる効果を合わせ持っていた。
音を聞いている時はいつも、腹の中に、飛沫をあげながら浮かぶ、水塊でかたどられた焔を感じた。

 

彼はずるい人間の矛盾した言葉を忌み嫌ってはいたが、

相反する言葉の繋がりのもつ矛盾の、ふしぎな心地良さや、
自然現象に惹かれる所があった。

予定調和やステレオタイプにすこしうんざりしていて、
心地よいと感じる程度の矛盾や違和感を求めていた。

 

例えば、
青く晴れ渡る空から、突然叩きつけられる通り雨には
妙な興奮を覚え、嬉々として打たれた。

テレビに映し出された、
ギラギラときらめいた舞台にはむしろ安っぽさを感じ、

薄暗く、蒸せかえるような、小さな箱。
バンドマンたちの、荒々しくも美しい、本能をむきだしにしたような、
その場所の持つ、すえた匂いからは高尚なものを感じ取った。

ここに神経質な男がいる。

今日も、気にしたって無駄な些末事を50は見つけ考え疲弊し這う這うの体で帰路につく。

外を歩く時、頭上に致命傷を負わせる何かしらの塊が降ってくる事は滅多に無いだろうし、3度も確認したのだから今朝家のカギをかけ忘れて出てきたということはまず無いはずだ。

だが可能性がゼロで無い限り、男はふとした瞬間に様々な事を気にし始め、体は強張り、その思考は妨げられる。